世界一周についての報告書です。
2007/05/06に日本を出発し、2008/04に日本に戻ります。
行き先はアジア→ヨーロッパ→中東→アフリカ→南米→北米→日本です。
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今ボリビアのポトシにいます.
明日ウユニに移動して,そのままチリまで移動します.
もしかしたらしばらくネットできないかもしれないけどご心配なきよう、相変わらず元気です.
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今回はかずやさんという男性の話をします。
かずやさんはこの旅行で私が偶然会った回数NO.1の同じ旅行者です。
そして最年少の世界一周旅行者でもあります。
そんなかずやさんに初めて会ったのはインドでした。
当時かずやさんは18歳。ぴっちぴちです。
話をしているうちに、かずやさんは灘高から京都大学に進み、合格と同時に休学して世界一周中であることを知りました。
とはいえ旅行者に高学歴は珍しくありません。
意外なことに、知らない大学出身であるほうが少ないくらいの印象です。
当時のドミトリー(大部屋)でも、東京大学、京都大学、立教大学などが同じ部屋でした。
そんな人たちとかずやさんを分けたものは、その姿勢。
旅を始めて2ヶ月にして英語がペラペラ。
ネイティブと電話で会話できるレベルに達してました。
これは本人が意図して実践をしていたからです。
そして新しい語学の習得にも熱心。
韓国の空港で3時間暇が出来たのでハングルの本を立ち読みし、ハングルが読めるようになっていたそうです。
持っていた本もフロイトの夢判断、ドストエフスキーのカラマーゾフ家の兄弟などなど、名作と呼ばれるものを意図して選択していました。
そして次に会ったのはヨルダン。
この旅行中に「人と一緒に行動してみる」「日本人以外と行動してみる」「今まで苦手としていたタイプの人と行動してみる」「ガイドブックなしでどれだけ感動できるか試してみる」「次は逆に情報を事前に最大限取り入れてみる」など、さまざまな旅行の形態を試してみていたそうです。
さながら旅行も実験。
都度批判してみたり、自己反省したりしつつ日々過ごしていました。
彼の姿勢にまず関心するのは、その意識の高さ。
彼の一時間は私の何時間分だろう。
次に会ったのはペルー。
マチュピチュまで往復5日間かけて徒歩で移動したそう。
その時のグループは5人だったのですが、私の目から見てもさまざまなタイプの人がいるグループで、それによくなじんでいました。
かずやさんは少林寺拳法もずっと習っていたので体力も十分だそうです。
文武両道です。
最後に会ったのはボリビア。
ここでは割と一緒に行動する機会がありました。
気が付けばスペイン語も話せるようになっていました。
それは彼の話をする時に珍しくもないのでいいとして、本の話や映画の話も相当出来るので驚きました。
私は今26歳で、最近19歳になった彼とは7歳差です。
でも本や映画をかずやさんより7年長く趣味としていた私に話を合わせることが出来るどころか、私の知らない本も映画もよく知っている。
私が感じていた最近の本の傾向までよく理解している。
本や映画にとどまらず、宗教や歴史についても彼に拾えないボールはありませんでした。
日本でまだこんな人に会ったことがない。
嬉しくてすっかり興奮してしまい、朝の5時まで話し込んでしまうこともありました。
そして、旅の話にしろ何の話にしろ、彼は自分の言葉で表せる才能を持っています。
私が旅に対してもやもやと感じていた感情も、すとんとした言葉で表してくれて感心することも一度や二度ではありませんでした。
それにたまに自分の知らないことを私が知ってたりすると、ちゃんと聞いてくれてすぐに自分のものにしていました。
こんな生徒がいたら先生冥利に尽きるだろうな。
そしてよく記憶していて、私がインドで買った布の値段まで覚えていた時は驚きました。
かずやさんは年下だけど「さん」を付けて呼んでしまいます。
この旅で出会った尊敬する人物のうちの1人になりました。(今のところ5人以下です)
そんな彼ももうすぐ帰国。ボリビアを去った後の彼のルートはメキシコ、ハワイ、日本なのでもう旅先で会うことはないでしょう。
彼に出会えたことは私のこの旅の大きな財産になりました。
そんなかずやさんの話でした。
かずやさんはこの旅行で私が偶然会った回数NO.1の同じ旅行者です。
そして最年少の世界一周旅行者でもあります。
そんなかずやさんに初めて会ったのはインドでした。
当時かずやさんは18歳。ぴっちぴちです。
話をしているうちに、かずやさんは灘高から京都大学に進み、合格と同時に休学して世界一周中であることを知りました。
とはいえ旅行者に高学歴は珍しくありません。
意外なことに、知らない大学出身であるほうが少ないくらいの印象です。
当時のドミトリー(大部屋)でも、東京大学、京都大学、立教大学などが同じ部屋でした。
そんな人たちとかずやさんを分けたものは、その姿勢。
旅を始めて2ヶ月にして英語がペラペラ。
ネイティブと電話で会話できるレベルに達してました。
これは本人が意図して実践をしていたからです。
そして新しい語学の習得にも熱心。
韓国の空港で3時間暇が出来たのでハングルの本を立ち読みし、ハングルが読めるようになっていたそうです。
持っていた本もフロイトの夢判断、ドストエフスキーのカラマーゾフ家の兄弟などなど、名作と呼ばれるものを意図して選択していました。
そして次に会ったのはヨルダン。
この旅行中に「人と一緒に行動してみる」「日本人以外と行動してみる」「今まで苦手としていたタイプの人と行動してみる」「ガイドブックなしでどれだけ感動できるか試してみる」「次は逆に情報を事前に最大限取り入れてみる」など、さまざまな旅行の形態を試してみていたそうです。
さながら旅行も実験。
都度批判してみたり、自己反省したりしつつ日々過ごしていました。
彼の姿勢にまず関心するのは、その意識の高さ。
彼の一時間は私の何時間分だろう。
次に会ったのはペルー。
マチュピチュまで往復5日間かけて徒歩で移動したそう。
その時のグループは5人だったのですが、私の目から見てもさまざまなタイプの人がいるグループで、それによくなじんでいました。
かずやさんは少林寺拳法もずっと習っていたので体力も十分だそうです。
文武両道です。
最後に会ったのはボリビア。
ここでは割と一緒に行動する機会がありました。
気が付けばスペイン語も話せるようになっていました。
それは彼の話をする時に珍しくもないのでいいとして、本の話や映画の話も相当出来るので驚きました。
私は今26歳で、最近19歳になった彼とは7歳差です。
でも本や映画をかずやさんより7年長く趣味としていた私に話を合わせることが出来るどころか、私の知らない本も映画もよく知っている。
私が感じていた最近の本の傾向までよく理解している。
本や映画にとどまらず、宗教や歴史についても彼に拾えないボールはありませんでした。
日本でまだこんな人に会ったことがない。
嬉しくてすっかり興奮してしまい、朝の5時まで話し込んでしまうこともありました。
そして、旅の話にしろ何の話にしろ、彼は自分の言葉で表せる才能を持っています。
私が旅に対してもやもやと感じていた感情も、すとんとした言葉で表してくれて感心することも一度や二度ではありませんでした。
それにたまに自分の知らないことを私が知ってたりすると、ちゃんと聞いてくれてすぐに自分のものにしていました。
こんな生徒がいたら先生冥利に尽きるだろうな。
そしてよく記憶していて、私がインドで買った布の値段まで覚えていた時は驚きました。
かずやさんは年下だけど「さん」を付けて呼んでしまいます。
この旅で出会った尊敬する人物のうちの1人になりました。(今のところ5人以下です)
そんな彼ももうすぐ帰国。ボリビアを去った後の彼のルートはメキシコ、ハワイ、日本なのでもう旅先で会うことはないでしょう。
彼に出会えたことは私のこの旅の大きな財産になりました。
そんなかずやさんの話でした。
やっちまいました。
虫歯になってしまいました。
保険金も下りない虫歯は旅の落とし穴です。
ニュージーやアメリカやヨーロッパでは20万円以上の治療費もざらなので日本に帰国する人もいる虫歯。
私もなってしまいました。
ああ、ここ数年虫歯なんてなったことなかったのに。
旅も後半になり、歯については不運が重なってました。
右下の銀歯はイタリアでピザを食べていたら取れて、
左上の銀歯はモロッコでクロワッサンを食べていたら取れて(ご丁寧にその時歯も欠けた)
右上の親知らずは3日前にお目見え。
こう考えてみたら私の銀歯は弱すぎないでしょうか。
で、小学生や中学生だった時に1回経験したかな?くらいの痛みが食事のたびに私を襲うようになりました。
イタリアで取れた銀歯の跡に虫歯が出来てしまったようです。
今は食事のたびに痛み止めです。
もう我慢ならないので歯医者に行くことにしました。
幸いラパスには日本で4年勉強したという歯科医がいてくれて、料金もラパスにしたらべらぼうだけど、払えない額ではないです。
ちなみに世界では、ブルガリアとラパスとブエノスアイレスに、そこそこ技術もあり、料金的にも安心という歯医者さんがいてくれます。私がラパスで虫歯になったのもなんかの縁でしょう。
というわけで明日歯医者に行ってきます。
虫歯になってしまいました。
保険金も下りない虫歯は旅の落とし穴です。
ニュージーやアメリカやヨーロッパでは20万円以上の治療費もざらなので日本に帰国する人もいる虫歯。
私もなってしまいました。
ああ、ここ数年虫歯なんてなったことなかったのに。
旅も後半になり、歯については不運が重なってました。
右下の銀歯はイタリアでピザを食べていたら取れて、
左上の銀歯はモロッコでクロワッサンを食べていたら取れて(ご丁寧にその時歯も欠けた)
右上の親知らずは3日前にお目見え。
こう考えてみたら私の銀歯は弱すぎないでしょうか。
で、小学生や中学生だった時に1回経験したかな?くらいの痛みが食事のたびに私を襲うようになりました。
イタリアで取れた銀歯の跡に虫歯が出来てしまったようです。
今は食事のたびに痛み止めです。
もう我慢ならないので歯医者に行くことにしました。
幸いラパスには日本で4年勉強したという歯科医がいてくれて、料金もラパスにしたらべらぼうだけど、払えない額ではないです。
ちなみに世界では、ブルガリアとラパスとブエノスアイレスに、そこそこ技術もあり、料金的にも安心という歯医者さんがいてくれます。私がラパスで虫歯になったのもなんかの縁でしょう。
というわけで明日歯医者に行ってきます。
旅をしていると、どうしても必要なものがあります。
それはビザ。
今回の38カ国の旅行で、ビザが必要なのは以下の7カ国。
インドネシア
中国
インド
ネパール
シリア
エジプト
ブラジル
残り31カ国についてはビザは必要なかったです。
これは日本のパスポートのおかげ。
中国で「38カ国も行くなら38個もビザがいるね」と驚かれたことがあります。
これは中国人は基本的にどこに行くにもビザがいるから。
ロシア人もそうみたい。
でも、日本のパスポートがあれば、ビザがいるほうが珍しいです。
ありがたい限り。
ヨーロッパは特に日本パスポートに優しくて、日本パスポートだとろくにチェックもせず「コンニチハー」と日本語で挨拶してくれます。
それに近年ラオスもベトナムも中国(15日以下)も日本人に対してはビザなしになりました。
上記のビザが必要な7カ国についても、国境で簡単に取得出来るものも半数あります。
ただ。
世界にはめんどくさいビザが3つあります。
1つはイラン
2つはシリア
3つはブラジル
イランは取れる場所が少ないのと意味の分からない発給拒否が多い。
私は結局行かなかったけど、これは日本で取得するのですら難しい。
女性の一人旅は駄目とか
2度目の入国は配偶者がイランにいないことを証明しなくちゃいけないとか
インドでは取れなくなったとか
パキスタンではなぜか血液検査までしなくちゃいけないとか(現在はそれでも取れなくなった)
取れるのはトルコやバングラデシュなのですが、ここで取るときもムスリムっぽいかっこをしてないと取りにくい場合がある。
シリアは手続きがめんどくさい。
1日目に日本大使館に行って推薦状をもらって
2日目に申請をして、午後まで待たされてようやく受領。
丸二日かかった。
ブラジルは、必要書類がとにかく多い。
黄熱病の注射履歴証明書
ブラジルインとアウトの往復航空券
メインバンクの最近三ヶ月の残高証明書
米ドル現金60ドル(しかもこれ日本人特別料金。ほかの国は20ドル。)
パスポートコピー
写真
あー。もう。
しかもこういうビザに限って高い。上記のどれも6000円以上する。
今日はブラジルビザの申請に行ったのですが、航空券がオープンチケットというだけでビザ発券拒否されてしまいました。
いっそブラジル行かなくてもいいのですが、ブラジル発の航空券があるので行かねば...。とほほ。
ちなみにアフリカは別の意味でビザがめんどくさいそうです。
なんと100ドル越えが当たり前だとか。
あるご夫婦はアフリカのビザ代だけで50万円を越えたそうです。
そう思えばめんどくさいビザの2つくらいましかも。
それはビザ。
今回の38カ国の旅行で、ビザが必要なのは以下の7カ国。
インドネシア
中国
インド
ネパール
シリア
エジプト
ブラジル
残り31カ国についてはビザは必要なかったです。
これは日本のパスポートのおかげ。
中国で「38カ国も行くなら38個もビザがいるね」と驚かれたことがあります。
これは中国人は基本的にどこに行くにもビザがいるから。
ロシア人もそうみたい。
でも、日本のパスポートがあれば、ビザがいるほうが珍しいです。
ありがたい限り。
ヨーロッパは特に日本パスポートに優しくて、日本パスポートだとろくにチェックもせず「コンニチハー」と日本語で挨拶してくれます。
それに近年ラオスもベトナムも中国(15日以下)も日本人に対してはビザなしになりました。
上記のビザが必要な7カ国についても、国境で簡単に取得出来るものも半数あります。
ただ。
世界にはめんどくさいビザが3つあります。
1つはイラン
2つはシリア
3つはブラジル
イランは取れる場所が少ないのと意味の分からない発給拒否が多い。
私は結局行かなかったけど、これは日本で取得するのですら難しい。
女性の一人旅は駄目とか
2度目の入国は配偶者がイランにいないことを証明しなくちゃいけないとか
インドでは取れなくなったとか
パキスタンではなぜか血液検査までしなくちゃいけないとか(現在はそれでも取れなくなった)
取れるのはトルコやバングラデシュなのですが、ここで取るときもムスリムっぽいかっこをしてないと取りにくい場合がある。
シリアは手続きがめんどくさい。
1日目に日本大使館に行って推薦状をもらって
2日目に申請をして、午後まで待たされてようやく受領。
丸二日かかった。
ブラジルは、必要書類がとにかく多い。
黄熱病の注射履歴証明書
ブラジルインとアウトの往復航空券
メインバンクの最近三ヶ月の残高証明書
米ドル現金60ドル(しかもこれ日本人特別料金。ほかの国は20ドル。)
パスポートコピー
写真
あー。もう。
しかもこういうビザに限って高い。上記のどれも6000円以上する。
今日はブラジルビザの申請に行ったのですが、航空券がオープンチケットというだけでビザ発券拒否されてしまいました。
いっそブラジル行かなくてもいいのですが、ブラジル発の航空券があるので行かねば...。とほほ。
ちなみにアフリカは別の意味でビザがめんどくさいそうです。
なんと100ドル越えが当たり前だとか。
あるご夫婦はアフリカのビザ代だけで50万円を越えたそうです。
そう思えばめんどくさいビザの2つくらいましかも。
ご無沙汰してました。
12/26にスペインからペルーのリマに着きました。
クリスマスはヨーロッパで過ごそうと、モロッコで時間をつぶしてまで12/24、12/25をスペインで過ごしました。
結論から言うとスペインのクリスマスは家族で過ごすもので、店は軒並み閉まるわ(教会すら)、イベントはないわで失敗でした。さみしかった。
クリスマスを派手に祝いたい人はドイツ語圏がおすすめです!
それはさておき、12/26からリマ→クスコ→マチュピチュ→プーノ(チチカカ湖)とペルーを移動し、今はボリビアのラパスにいます。
この行程表の通り、ナスカ、すっ飛ばしました。
ナスカの地上絵。
この観光地はどうも旅行者に評判が悪く、それを押しても見たいという気持ちが持てなかったので今回はパス。
あまり興味のないところで行くのが大変なところは、思い切ってパスするのが丁度自分のペースで旅行できるポイントかもしれない。私の場合。
で、南米の物価は思ったより安いです。
ホテルは800円前後(ペルー)、食費は200円(チキンとポテトで)くらい。
感覚ではアジアより安い。
ただ、治安はやはりよくないようです。
南米全体で首絞め強盗が流行ってるのですが、安宿に置いてある旅人の情報ノートを見ているといつも「首絞められました」の文字が躍ります。
こえー。
私も南米では貴重品は宿に置いて手ぶらで行動してます。
宿のを盗まれたら帰国です。
初の南米のリマでは教会にびっくりしました。
南米はほぼ全域がローマカトリックなので教会はゴテゴテしてるんですよ。
聖書を重んじるプロテスタントと違い、聖書が一般に読まれなかった時代に一般市民に分かりやすい信仰の対象として像や飾りを多く作ったカトリックなので、マリア様やキリストの像がたくさん。
それはいいんですけど、教会の中にペンギンの巣を作るのはどうでしょうか。
電飾で原色鮮やかに教会内を飾るのはどうでしょうか。
ウェディングドレスを着て紅白の小林幸子のようになっているマリア様はどうでしょうか。
いやー、びっくり。
飾られている絵もヨーロッパのものとはまったく違い、「こんな場面聖書にないよ!」といったものがたくさん。
ねずみを食べるキリスト様。
黒人のキリスト様。
どちらさま?
スペイン人は武力で土地を征服し、カトリックで魂を征服した、と高校の時の世界史の教科書で書かれていたことを思い出しました。
どうしてなかなか、お祭り好きで派手好きな魂は征服されていないようです。
リマでは日系移民の経営する宿に宿泊していました。
でも日本語がだいぶ危うい。でもスペイン語ぺらぺら。
これも小さくカルチャーショックでした。日本語を話さない日本人は初めての経験でした。移民とはこういうことなんですね。日本人ではなくペルー人になることなんですね。
そしてクスコ。
南米の半分を支配していたインカ帝国の都です。
私はここがとても気に入りました。
さすが古い歴史を持つ都だけあって建物がどれも味がある。
建物は全部茶色で統一されているし、かみそり一枚通さないというインカの石組みも随所で見られます。
そして道はすべて石畳。
雨が降ると何度もこけそうになるのですが、でも許す。
ヨーロッパの石畳より温かみがあって好きです。
観光用ですがリャマも街中にいて、楽しくなります。
ペルーやボリビアは先住民のインディヘナ人口が多く、私たち日本人にどこか似た人ばかりです。
なんでかな?と思って歴史を読んでみると、アジアにいた民族がマンモスを追ってシベリアとアラスカを通って北米に入り、その勢いで南米にも来たということでした。
つまりインディヘナはアジア人だそうです。
習ったはずなのに忘れてた。
でもこうやって実際に顔を見てから歴史を見てみると納得の一言です。
ああ、高校の時の世界史の教科書持ってきたら良かった。
どの本よりも楽しいだろうな。
南米はアジアほど人口も多くないし、気候も蒸し暑くないせいか、人は穏やかです。
押し売りなんてされたことないし、値段を聞いてもそこまで変な値段は言いません。
また今度ねと言えばにこっと笑い返します。
タクシーでもほとんどぼってきません。
あー、値段を聞くと「これがどれだけすばらしい商品か」ということを話し出して店から出してくれないアラブ人にも見習ってほしい。癒される。
でもそんなインディヘナが喧嘩でガラス瓶を割ってる場面に出くわしたことがあります。
意外とかっとしやすい???
クスコで年末年始を過ごしたのですが、風邪引いてダウンしてました。
誕生日は大雨、クリスマスは孤独、お正月は風邪。
あまりめでたいイベントにならない自分。
でも宿で紅白歌合戦を生で見れました。
朝6時から始まったけど。
海外で見る紅白はなんだか里心を刺激されました。日本だとろくに見ないのに。
日本人同士で「もち!」「おせち!」と叫びあってました。
その熱は収まらず、三が日ずっとビデオに撮った紅白を見続ける人も。
ああ、ぜんざい食べたい。
あと宿の人たちとトランプしてたのですが、「負けたらキスね!」と絡んでくる28歳男性が居て閉口しました。若いうちからこんなんじゃ先行きが危ういなー。
と思ってたら4月から公職に就く予定だそう。そこの女子社員、気の毒…。
そしてマチュピチュ。
日本人が行きたい世界遺産ランキングの一位になったそうですね。
当然私も行ってきました。
当日は朝6時には遺跡に到着し、マチュピチュが一望できるという山にも登ってきました。全部味わいつくしました。
…それでなお感動しなかった私はどこかおかしいのでしょうか。
あれー?
期待しすぎたか?
でも遺跡としてはアンコールワットに次いで2位です。
マチュピチュには1件もトイレがないので、トイレのことばかり考えてました。
マチュピチュはペルーの収入源なだけあり、その料金は2年前と比べて2倍以上に跳ね上がってます。日帰りですら普通に手配すると2万円近くします。
2万円出したんだからトイレくらい作ってくださいペルー政府。
プーノではチチカカ湖に浮かぶ島でホームステイをしてきました。
植物で浮島を作ってそこで生活してるウロス島では「咲いた咲いたチューリップの花が」と住民の人が歌ってくれました。
日本人は私しかいなかったのに。
これがアジアあたりだと観光化されてるなあと思うくらいですが、ここでやられると不意打ちで嬉しかった。
ホームステイ先のアマンタニ島では、15歳の女の子、22歳の男の子、38歳のお父さん、年齢不詳のお母さんの一家にお邪魔しました。
私はスペイン語が話せないので困っていたのですが、女の子が少し英語を話せたので助かりました。
小さな島なのに大学まであって、(電気もまだないのに)その女の子も大学まで行く予定だそうです。
でも島から出る気はないといってました。
世間を知ってなお島に留まりたいという気持ちは素晴らしいなと思いました。
私は美味しいものも楽しいこともまだまだ捨てられません。世俗まみれの自分。
お寿司が好きです。旅行が好きです。日本大好きです。
ちなみにチチカカ湖の景色は日本の瀬戸内海に似てました。
ツアーで一緒になった人で、日本から両親がペルーに移民し、更にオーストラリアに移民した方に出会いました。
60歳くらいのおばあさま。
「日本語はもう忘れちゃったわ」と英語で話すおばあさん。
「何でペルーから更にオーストラリアへ?」と聞くと「もっといい生活を求めて」とのこと。
バイタリティ溢れる元日本人の姿を見ました。
そして今はボリビアのラパスにいます。
世界最高の標高にある首都。富士山と同じくらいの高さです。
高地には少しは慣れたつもりでしたが、やっぱり少し歩くだけで息切れがします。
そういえばまったく関係ないんですがクリスマスに読んでた本に、「樹木葬」という葬儀が紹介されてました。
あ、こんな本を読んでるからよけい寂しいクリスマスになったのかも。
私の場合は金木犀の木を植えてほしいなと思いました。
仏教って本当は霊の存在を認めておらず、個人の霊はすぐに輪廻転生するものという立場なので、先祖の霊を慰めるというのは変ですもんね。
戒名というのも、私は不要と思っていたのですが、どうも寺に埋葬してもらうには戒名が必要だそうで。何の商売だ、寺。
旅行中は色々本を読むので(それも日本にいたら読まなかったであろう本もたくさん)、変な世界も見られて面白いです。
こんな日々を送ってます。
3日後にはボリビアアマゾンに行く予定です。
12/26にスペインからペルーのリマに着きました。
クリスマスはヨーロッパで過ごそうと、モロッコで時間をつぶしてまで12/24、12/25をスペインで過ごしました。
結論から言うとスペインのクリスマスは家族で過ごすもので、店は軒並み閉まるわ(教会すら)、イベントはないわで失敗でした。さみしかった。
クリスマスを派手に祝いたい人はドイツ語圏がおすすめです!
それはさておき、12/26からリマ→クスコ→マチュピチュ→プーノ(チチカカ湖)とペルーを移動し、今はボリビアのラパスにいます。
この行程表の通り、ナスカ、すっ飛ばしました。
ナスカの地上絵。
この観光地はどうも旅行者に評判が悪く、それを押しても見たいという気持ちが持てなかったので今回はパス。
あまり興味のないところで行くのが大変なところは、思い切ってパスするのが丁度自分のペースで旅行できるポイントかもしれない。私の場合。
で、南米の物価は思ったより安いです。
ホテルは800円前後(ペルー)、食費は200円(チキンとポテトで)くらい。
感覚ではアジアより安い。
ただ、治安はやはりよくないようです。
南米全体で首絞め強盗が流行ってるのですが、安宿に置いてある旅人の情報ノートを見ているといつも「首絞められました」の文字が躍ります。
こえー。
私も南米では貴重品は宿に置いて手ぶらで行動してます。
宿のを盗まれたら帰国です。
初の南米のリマでは教会にびっくりしました。
南米はほぼ全域がローマカトリックなので教会はゴテゴテしてるんですよ。
聖書を重んじるプロテスタントと違い、聖書が一般に読まれなかった時代に一般市民に分かりやすい信仰の対象として像や飾りを多く作ったカトリックなので、マリア様やキリストの像がたくさん。
それはいいんですけど、教会の中にペンギンの巣を作るのはどうでしょうか。
電飾で原色鮮やかに教会内を飾るのはどうでしょうか。
ウェディングドレスを着て紅白の小林幸子のようになっているマリア様はどうでしょうか。
いやー、びっくり。
飾られている絵もヨーロッパのものとはまったく違い、「こんな場面聖書にないよ!」といったものがたくさん。
ねずみを食べるキリスト様。
黒人のキリスト様。
どちらさま?
スペイン人は武力で土地を征服し、カトリックで魂を征服した、と高校の時の世界史の教科書で書かれていたことを思い出しました。
どうしてなかなか、お祭り好きで派手好きな魂は征服されていないようです。
リマでは日系移民の経営する宿に宿泊していました。
でも日本語がだいぶ危うい。でもスペイン語ぺらぺら。
これも小さくカルチャーショックでした。日本語を話さない日本人は初めての経験でした。移民とはこういうことなんですね。日本人ではなくペルー人になることなんですね。
そしてクスコ。
南米の半分を支配していたインカ帝国の都です。
私はここがとても気に入りました。
さすが古い歴史を持つ都だけあって建物がどれも味がある。
建物は全部茶色で統一されているし、かみそり一枚通さないというインカの石組みも随所で見られます。
そして道はすべて石畳。
雨が降ると何度もこけそうになるのですが、でも許す。
ヨーロッパの石畳より温かみがあって好きです。
観光用ですがリャマも街中にいて、楽しくなります。
ペルーやボリビアは先住民のインディヘナ人口が多く、私たち日本人にどこか似た人ばかりです。
なんでかな?と思って歴史を読んでみると、アジアにいた民族がマンモスを追ってシベリアとアラスカを通って北米に入り、その勢いで南米にも来たということでした。
つまりインディヘナはアジア人だそうです。
習ったはずなのに忘れてた。
でもこうやって実際に顔を見てから歴史を見てみると納得の一言です。
ああ、高校の時の世界史の教科書持ってきたら良かった。
どの本よりも楽しいだろうな。
南米はアジアほど人口も多くないし、気候も蒸し暑くないせいか、人は穏やかです。
押し売りなんてされたことないし、値段を聞いてもそこまで変な値段は言いません。
また今度ねと言えばにこっと笑い返します。
タクシーでもほとんどぼってきません。
あー、値段を聞くと「これがどれだけすばらしい商品か」ということを話し出して店から出してくれないアラブ人にも見習ってほしい。癒される。
でもそんなインディヘナが喧嘩でガラス瓶を割ってる場面に出くわしたことがあります。
意外とかっとしやすい???
クスコで年末年始を過ごしたのですが、風邪引いてダウンしてました。
誕生日は大雨、クリスマスは孤独、お正月は風邪。
あまりめでたいイベントにならない自分。
でも宿で紅白歌合戦を生で見れました。
朝6時から始まったけど。
海外で見る紅白はなんだか里心を刺激されました。日本だとろくに見ないのに。
日本人同士で「もち!」「おせち!」と叫びあってました。
その熱は収まらず、三が日ずっとビデオに撮った紅白を見続ける人も。
ああ、ぜんざい食べたい。
あと宿の人たちとトランプしてたのですが、「負けたらキスね!」と絡んでくる28歳男性が居て閉口しました。若いうちからこんなんじゃ先行きが危ういなー。
と思ってたら4月から公職に就く予定だそう。そこの女子社員、気の毒…。
そしてマチュピチュ。
日本人が行きたい世界遺産ランキングの一位になったそうですね。
当然私も行ってきました。
当日は朝6時には遺跡に到着し、マチュピチュが一望できるという山にも登ってきました。全部味わいつくしました。
…それでなお感動しなかった私はどこかおかしいのでしょうか。
あれー?
期待しすぎたか?
でも遺跡としてはアンコールワットに次いで2位です。
マチュピチュには1件もトイレがないので、トイレのことばかり考えてました。
マチュピチュはペルーの収入源なだけあり、その料金は2年前と比べて2倍以上に跳ね上がってます。日帰りですら普通に手配すると2万円近くします。
2万円出したんだからトイレくらい作ってくださいペルー政府。
プーノではチチカカ湖に浮かぶ島でホームステイをしてきました。
植物で浮島を作ってそこで生活してるウロス島では「咲いた咲いたチューリップの花が」と住民の人が歌ってくれました。
日本人は私しかいなかったのに。
これがアジアあたりだと観光化されてるなあと思うくらいですが、ここでやられると不意打ちで嬉しかった。
ホームステイ先のアマンタニ島では、15歳の女の子、22歳の男の子、38歳のお父さん、年齢不詳のお母さんの一家にお邪魔しました。
私はスペイン語が話せないので困っていたのですが、女の子が少し英語を話せたので助かりました。
小さな島なのに大学まであって、(電気もまだないのに)その女の子も大学まで行く予定だそうです。
でも島から出る気はないといってました。
世間を知ってなお島に留まりたいという気持ちは素晴らしいなと思いました。
私は美味しいものも楽しいこともまだまだ捨てられません。世俗まみれの自分。
お寿司が好きです。旅行が好きです。日本大好きです。
ちなみにチチカカ湖の景色は日本の瀬戸内海に似てました。
ツアーで一緒になった人で、日本から両親がペルーに移民し、更にオーストラリアに移民した方に出会いました。
60歳くらいのおばあさま。
「日本語はもう忘れちゃったわ」と英語で話すおばあさん。
「何でペルーから更にオーストラリアへ?」と聞くと「もっといい生活を求めて」とのこと。
バイタリティ溢れる元日本人の姿を見ました。
そして今はボリビアのラパスにいます。
世界最高の標高にある首都。富士山と同じくらいの高さです。
高地には少しは慣れたつもりでしたが、やっぱり少し歩くだけで息切れがします。
そういえばまったく関係ないんですがクリスマスに読んでた本に、「樹木葬」という葬儀が紹介されてました。
あ、こんな本を読んでるからよけい寂しいクリスマスになったのかも。
私の場合は金木犀の木を植えてほしいなと思いました。
仏教って本当は霊の存在を認めておらず、個人の霊はすぐに輪廻転生するものという立場なので、先祖の霊を慰めるというのは変ですもんね。
戒名というのも、私は不要と思っていたのですが、どうも寺に埋葬してもらうには戒名が必要だそうで。何の商売だ、寺。
旅行中は色々本を読むので(それも日本にいたら読まなかったであろう本もたくさん)、変な世界も見られて面白いです。
こんな日々を送ってます。
3日後にはボリビアアマゾンに行く予定です。
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大阪出身の25歳女です。
世界一周中です。
2007/5/6にバリ島へ出発して、
アジア→ヨーロッパ→中東→アフリカ→南米アメリカ
の順で、1年間かけて世界一周しています。
滞在予定国数は40カ国です。
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